木村勇介(きむらゆうすけ)
- 生年月日
- 1980年9月9日
- 出身地
- 埼玉県川口市
- 血液型
- O型
- 資格
- 柔道整復師・鍼灸師・日本自律神経整体協会師範
- 趣味
- 野球・ゴルフ・マラソン
施術家になるまで
幼少期とスポーツとの出会い
私は4歳の頃からサッカーを始め、運動の基盤が養われたと思います。
小児喘息を患っていたため両親の勧めもあり水泳を7年間続けさせてもらいました。
そして、サッカー、バスケットボールなどさまざまなスポーツを経て小学校5年生から本格的に野球を始めました。喘息の症状も酷くなることはなくなりました。
小さいころから積極的にスポーツを経験させてもらった両親にはとても感謝しています。
高校時代 挫折・転機
高校は県内でも有名な甲子園出場校に進学しました。
来る日も来る日も練習に明け暮れたいたときに、徐々に右肩に違和感が出始めました。
しかし部員は100名以上いる大所帯。レギュラーはおろかベンチ入り争いも熾烈で休める状態ではありませんでした。
そしてメンバー争いのさなか・・・朝起きた時に右肩が上がらない。
今までにない痛みが右肩に走りました。朝食のご飯を箸でつかみ口までもっていくのさえ苦痛でした。
それでもその日は練習に参加しましたが、結局ボールを投げる事がまったくできず練習を抜けました。
今までで一番の挫折を味わいました。
その時出合ったのが鍼治療でした。
母校の先輩が営んでいた整骨院に通院させてもらい、気づけば1ヶ月程度でキャッチボールができるようになり、2ヶ月後には全力投球ができるようになったのです。
もちろんケガで出遅れた分は取り戻すことができず、ベンチ入りは叶いませんでしたが、引退試合には出場してヒットを打つことができました。
最後の最後で自分に少し自信がついたかもしれません。
そして徐々に熱い思いが芽生え、「自分のように痛みを抱えているスポーツ選手や学生を救いたい!」こんな思いから、お世話になった整骨院で修業しながら、国家資格である鍼灸師の専門学校に3年間通いました。
専門学校・修行時代
専門学校に通いながらの修行でしたので、授業終了と同時に教室を飛び出し駅まで走って電車に乗る毎日を過ごしていました。
毎日毎日夜遅くまでマッサージや包帯・テーピングの練習を行いました。
休みの日には、自分で探したり紹介してもらった勉強会に参加して学校以外での知識を学び、時にはプロ野球トレーナーさんに学んだりととにかく忙しい毎日を過ごしていました。
その努力があったおかげで、患者さんをまかせてもらえるようになりました。
出合いと再出発
国家資格を取得してからは、さらに知識と技術のレベルを上げようと思い整形外科で勤務することを決めました。
そこで主任の先生との出会いがあり、自分はまだまだ未熟だと痛感させられました。
患者さんに寄り添う姿勢や、知識・技術、人間性すべてにおいて感動しました。
そこで柔道整復師という国家資格にも興味が出始め、その後勤務した整骨院で副院長を任せてもらいながら再び3年間専門学校で学びました。
学びの末に・・・患者さんに対する思い
整骨院で副院長を任せてもらいながら専門学校に通っている間も勉強に明け暮れました。
スポーツに精通する勉強会にはこれでもかというくらい参加し、参加した後は技術の研鑽にはげみました。
解剖学や生理学・運動学、スポーツに関する参考書を毎日勉強し患者さんに還元できる知識も学び続けました。
でもある時ふと気付いたのです。
自分が勉強していることは、痛みに対しての知識ばかりで痛みを出さない予防としての知識がおろそかになっているのではないか?
治療家としての本質はどこなのか・・・?
かなり自問自答して、そこからまた学び始めました。
結局それなりに学び続けた先生は患者さんを治すことができます。
しかしまた痛みを再発し「先生!また痛めちゃった~。」
意外にこれが現状です。
しかしこれでは再発と隣り合わせでスポーツを行い、常にそのストレスと戦わなくてはいけません。
私が学び続けた、あなたにカスタマイズした治療法を当院が提供します。
痛みの再発を予防できる、「体の使い方」「ストレッチ」「トレーニング」メソッドをすべてあなたに還元していきます。
痛みやパフォーマンスのことでお困りのかたがいましたら是非当院にご相談ください。
一緒に「生涯スポーツを楽しめるカラダづくり」を目指しましょう!
プライベートも少し紹介します
11歳と8歳の息子がいます。
あっ!もちろん妻もいますよ (笑)
なかなか帰りが遅いので平日は子供との時間が少ないですが、休日はなるべく子供と触れ合う時間を作るようにしています。
現在は子供2人とも野球を始めて、コーチとして奮闘中です 笑
スポーツは今でも大好きです!
今はやっぱりマラソンがいちばんです!
走ると体調がスゴクいいです。
野球やゴルフも趣味でやってます。
千葉康弘(ちばやすひろ)
- 資格
- 鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師・合氣道指導員
- 業界歴
- 5年
- 趣味・特技
- 合氣道 温泉巡り フットボール観戦
この業界に入ったきっかけ
中学高校時代は水球部でした。
大学では体格に左右されない合氣道の部活に入り、主将にもなりました。そこで合氣道にどっぷりはまり、大学卒業後も立派な合氣道指導員になるべく合氣道会の本部に住み込みで修行したり、道場や教室で合氣道の指導をしたりしていました。(現在も継続して指導しています)
合氣道の中で、触れることによって健康に導いていく方法を習いました。
その先生が重い症状もその場で治してしまう姿を見て、自分の手で人を治療していく事に魅かれ、それを自分自身のライフワークにしたいと思い、鍼灸師とマッサージ師の国家資格の専門学校に入りました。
この業界に入って毎日が勉強、勉強で大変ではありますが、とても充実した日々を送らせてもらっています。
患者さんに向けて
怪我や痛みは単に筋肉や骨の問題だけではなく、内臓、自律神経、精神状態、生活習慣など人間のすべてが関わっています。
ゆえに、一部分ではなく心と身体のトータルを良くする事の出来る治療を心がけています。
一緒に、生涯若々しく動ける心身作りを目指して行きましょう。
奥村郁真(おくむらいくま)
- 資格
- 柔道整復師
- 業界歴
- 3年
- 趣味・特技
- 読書 サッカー
この業界に入ったきっかけ
小さいころからサッカーをしておりました。
捻挫や肉離れなどをよくしていて、苦しい思いをしていました。
その中でもオスグッドにはとても苦しめられました。
日常生活では膝を曲げる事ですぐに痛くなってしまい、階段の昇り降りや椅子などに座る動作などが辛かったです。
何より辛いのが、サッカーを満足にプレーすることが出来なかったことです。ボールを蹴るだけですぐに痛みが出てしまい、私が思い描くプレーをすることができませんでした。
そのような状態の時、接骨院によく通っていました。
サッカーを満足にすることが出来ない私の悩みを、様々な治療を用いて治してくれました。
より早く治すために私がどのようにすればいいかなどのアドバイスをしてくれました。
その甲斐あってオスグッドを完治でき、満足にサッカーが出来るようになりました。
その時の治す姿に憧れ、私も怪我で苦しんでいる人を治したいという思いからこの業界に入りました。
患者さんへのメッセージ
怪我が治らない原因は、筋肉だけの問題ではありません。
背骨や骨盤などの骨の歪み、食生活や運動不足による内臓疲労かもしれません。自分が日常生活を送っていることの中に、ケガを治しにくくしている原因が存在していると思います。
自分の日常生活を振り返ってみて下さい。
ほんの些細なことが、ケガを治しにくくする原因かもしれません。
もし心当たりや分からないことがあれば、気軽に相談してください。
患者さんと一緒になって頑張っていきますのでよろしくお願いします!
山岸美祐(やまぎしみゆ)
- 資格
- 鍼灸師 あん摩マッサージ指圧師
- 業界歴
- 2年
- 趣味・特技
- 絵を描く事
この業界に入ったきっかけ
将来は看護師になろうと思っていました。ベタですが、虫垂炎になり入院した時、お世話をしてくれた看護師さんが天使に見えたのです。私も人の役に立つ仕事がしたいと、それなら看護師かなあ。漠然とですが、とりあえず医療に携われればと考えるようになりました。
転機は高校生になってから訪れました。冴えない芋女だった中学時代の自分から抜け出したくて、何となしに入部したボート部。その日から、私の人生は大きく変わり始めました。
たった三年間でした。しかしこれ程濃い三年間はもう二度と無いでしょう。
努力することの辛さ、トップを目指すことの喜び。インターハイの景色、国体の重み。恩師との出会い、友人との出会い、たくさんの思い出。
本当に、一生分の経験でした。
そうして将来は、鍼灸師を目指すことに決めました。医療資格であり、自分の様にスポーツに励む学生をサポートすることも可能であると考えたからです。
私の医療人としての人生はここから始まりました。
患者さんに対してのメッセージ
痛みは孤独なものです。誰に同情されたって、傷みが無くなる訳ではありません。私は確かな知識を持って、誠実に患者さんと向き合います。そして痛みのある異常な日々から脱却し、痛みの無い当たり前の生活を送れるよう精一杯努力していく所存です。
きむら初の女性スタッフとして女性ならではのお悩みもお手伝い出来ます様努めてまいります。
気軽にお話しください。宜しくお願い致します!
加藤大明(かとうひろあき)
- 資格
- 柔道整復師 柔道制整復専科教員免許 柔道弐段
- 業界歴
- 11年
- 趣味・特技
- ギター弾語り 料理
この業界に入ったきっかけ
小学5年生から野球を始めました。友人に誘われて、遊びでキャッチボールをしたのがきっかけでしたが、いつのまにか家族を巻き込み野球中心の生活がスタートしました。
夢中でプレイしてケガをすることもありました。肩や肘を痛めたり、指を骨折することも。治らないうちに無理やりプレイしたり、今思うと結構無茶なことをしていました(笑)
そんな中でも忘れもしない、高校1年生の夏。高校野球の想像を絶する練習量に、私の腰が悲鳴を上げます。激痛で歩く事すらままならない状況が半年続きました。時には足に雷が落ちたかのような痺れと激痛を感じ、16歳にして人生に絶望する瞬間も…。
そんな私を、多くの人がサポートしてくれました。親友、家族、チームのトレーナー、そして整骨院の先生でした。おかげで腰もよくなり、3年生最後の大会にも出ることが出来ました!
「一生懸命スポーツをする人達に、ケガで辛い思いをしてほしくない!」
「私を助けてくれた先生のように、私も世の中の人々の助けになりたい!」
そんな想いから医療人を目指すことを心に決めました。
患者さんに向けてのメッセージ
部活動やお仕事、趣味や家族との時間を充実したものにするには、健康的な身体が必要不可欠です。しかしながら、痛みの原因がわからずいつこの苦痛から解放されるのか、不安な気持ちで過ごされている方も多くいらっしゃいます。
私は自身の経験と知識でその原因を突き止め、活き活きとした生活を取り戻すお手伝いをしたい思っています。
皆様の幸せのために日々研鑽を積んで参りますので、何卒宜しくお願い致します!
亀山洸暉(かめやまこうき)
- 資格
- 鍼灸師
- 業界歴
- 1年
- 趣味・特技
- 野球・ボウリング・外に出かける事
この業界に入ったきっかけ
自分は、小中高社会人と計12年間野球しかやってこない生活でした。
その間に怪我をした回数は7回、肩・肘・腰・足と数々の怪我を経験してきました。
その間、色々な治療院に行き、色々な先生に治療をしてもらいました。
そんな中、高校3年の最後の夏の大会前、痛みが怖くなりボールを投げれなくなってしまったのです。
その時に紹介された治療院にいったとき、そこが自分の治療業界に入るきっかけになりました。
「もう、夏の大会でマウンドで投げれないですよね…。」と先生に言ったとき
「自分も一生懸命治療させてもらうから、亀山君も最後の大会マウンドに立てるようにもう一回本気で
頑張ってみない?」といわれ、必死な姿を見てこの人なら治してくれるかもと思いました。
その結果、二回の通院で全力投球ができるようになり、最後の大会もエースとしてマウンドに上がることができました。
あの時の、感動・感謝の気持ちは一生忘れないと思います。
それがきっかけで、国家資格を取りこの業界に飛び込んできました。
自分はあの時救ってくれた先生のように「患者さんの人生に影響をあたえ、名を残し、感謝される」そんな治療家になっていきます。
患者さんに向けて
怪我や痛みを抱えている時は気持ちがネガティブになっていると思います。自分もそうでした。
でも自分がついています。一生懸命必死に治療します。
なので、諦めないで下さい。
生活の中で「自分のやりたいことを痛いから諦める、痛みのせいで競技をやめる」そんなことは自分がさせません。痛みの無い生活を一緒にサポートさせてください!!
自分もまだ業界歴が浅いので皆様と一緒に成長出来たらなと思います。
ご相談や私生活のお悩み・今日元気が出ないから元気づけてほしいなど色々なご要望にお応えしていき、若さならではの「がむしゃらさ・元気さ・素直さ」を存分に出して治療していきます!
宜しくお願いします!!
お電話ありがとうございます、
きむら鍼灸整骨院でございます。